聞き取れないと言う事 〜『昭和元禄落語心中』感想を添えて〜

幼い頃から、「自分だけが聞き取れない」という環境に置かれることに滅法弱かった。

例えば夜に中国の親戚たちと電話する母の声、例えば留学したての授業、またあるいは自分のレベルに合わなかった英検のリスニング。

そういった状況下、に私はただただそれらをシャットアウトするしかなかった。母の実家ではDSをする毎日だったし(それが1回に数週間とか2ヶ月とかするからまた嫌悪感に拍車をかけた)、聞き取れないリスニングは何よりも効く子守唄だった。

しかしそんな私が聞き取れるようになる、そしてそれがひょっとして面白いものなのかも知れないと小さな気付きを得たのが、祖父母宅で流れる笑点だった。日本に来て数年、まだ日本語の覚束無い母と、単身赴任で海外に出張することが多い父の下で育った私は、幼稚園の頃周りの子より少し話すのが下手くそだったらしい。それを見かねた祖母が私を公文に通わせてくれた。幼稚園や小学生の頃は家に帰ってきてすぐに公文に行き、帰りは祖母の家に寄っておやつを食べて。そうでなくても週末は暇さえあれば祖父母の家に通っていた。(いや親からしてみればじじばばでくっそ可愛くない娘だと思う。)

そんな中、よくテレビで流れていたのが笑点。といっても当時はなにを言ってるのか、また観客が何に笑ってるのかさっぱりわからなかったから、あのオープニングが流れるのを合図にゲームを始めたり宿題したりしていた。日本語であっても聞き取れない物は敵であり、しかし面白そうに見ている祖父母にチャンネルを変えろとは言えなかったから、BGMにするしかなかった。

それが突然ハッとクリアに聞こえだしたのがいつだったか、中学生の24時間テレビとかだったと思う。いつものように祖父母の家へ行きあぁ24時間テレビの時も笑点やってるんだ、とお菓子を食べながら見たところ、これがすごく面白かった。あまり記憶にないけれど、三遊亭円楽師匠がものすごくキレキレだった気がする。それはいつもだな。まあとにかく、その一瞬で私は笑点にハマり、意識して焦点を見るようになった。なにより同じポイントで祖父母と笑う、共通のツボがあうのが嬉しくて、聞き取れるということが嬉しくて、一時期YouTube笑点や落語の動画を漁っていたレベルになっていた。

そんな訳で落語、というより笑点に少しエピソードのある私、最近台湾のサブスクで昭和元禄落語心中があったので昨日今日で一気に見た。第一期は2016年、ものすごく今更だとも自分で思うけれど。

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時は昭和の50年代、刑期を満了しシャバにでた若者が、出所後その足で八代目有楽亭八雲の寄席に弟子入りをしたいと尋ねる。模範囚であったにもかかわらず身元引受け人がいない為満期で出所し、行くところがないという彼を見て八雲は入門を認め、与太郎と言う名を与えられる。与太郎は八雲の落語を傍で見る事になるが、次第に八雲の静かに話聞かせ、また色っぽい所作で女性を演じるような落語は自分には無理だと感じ、反対に同じ屋敷に住んでいる八雲の養女、小夏の実父、二代目有楽亭助六の芸風に憧れ、真似をし始める。

当然良い心持のしない八雲、加えて師匠の八雲の独演会の前座にて練習不足の落語をし客席を白けさせ、あろうことか舞台袖で居眠りをした与太郎に八雲はとうとう破門を言い渡す。小夏に叱咤激励され破門の取り消しを願い出る与太郎に、八雲はその代わりにと「3つの約束」を守ることを頼み、八雲と助六、そしてみゆ吉という女性に関わる昔話を始める。

ここまでで1話である。昭和元禄落語心中、第一期を見た時点での感想だが、第一期全13話中の大部分が八雲と助六の話になる。時は戦時前まで遡り、今は亡き小夏の父、助六と八雲との出会いから助六が亡くなるまで、そこに至るまでなにがあったのか、ということを軸に物語が展開していく。アニメを見慣れている人からするとほぼ全編回想というのはあまり良くない印象かも知れないが(死ぬ前のキャラの回想とかね、)、そこは安心して欲しい。開始時点でキャラもう死んでるから。

このアニメを見て私が第1に思ったのが、声優さんの演技力がすごいという事。与太郎(CV.関智一)、八代目八雲(CV.石田彰)、二代目助六(CV.山寺宏一)加えて八雲と助六の師匠、七代目八雲(CV.家中宏)(犬夜叉の奈落やACCAのモーント)とまぁよくこれだけ集められたなという経歴のある声優さんばかりであるが(しかもほとんど落語に関連のある声優さんじゃなかったか)、そんな声優さんの名の通りに話し方が上手い。なにがすごいって単純に落語が上手いんじゃなく、落語の上手下手が素人にも聞いて分かるのだ。観客を置いてけぼりにしていく落語、あまりにも練習していない落語、終盤の自分を見つけられた後の落語。また上手い落語にしても、八雲は静かで艶やか、対して助六は場を笑わせ、客を引き込むように、一人一人得意な芸風も違う。

このアニメは基本的に落語を前口上から最後までやる。その中で噺家の身振り手振りに加え、汗が吹き出る描写というのが度々あるが、その作画に声優さんの声が乗ったことによりそれが冷や汗なのか、また興奮から湧き出る汗なのかがすぐに分かる。

恐らくこれを単体で、例えばラジオなんかで聞いた落語としてプロの噺家さんも納得するのかと言われれば、それは違うと思う。そりゃ場数が違うよ、とかそういうことではなくて、噺家さんと声優さんという職業の前提として噺家さんはその場にいる観客に聞かせる、それこそ兵役の経験から七代目か助六かが言っていた「舌先三寸ありゃどこでも落語ができる」と言っていたように、話を知っていればどこでもできる。対して声優さんはやっぱり声を当てる、無音の動く絵に声を当てるということ。キャラの口の動きに合わせる必要があるため話の間や調子なんかに制約は出てくると思うし、なによりそれは1人じゃできない。声を当ててる人がしたい身ぶりは、画面のキャラの動きとは違うかもしれない。そのわずかなちぐはぐがあるなぁとも見ていて感じた。ただ、助六が生前思い描いていた新たなスタイルの落語、大衆が落語に触れる機会として昭和元禄落語心中という媒体はまさにぴったりであったし、こうやって落語が人々の中に受け継がれていくというのは素敵な事だと思った。

前述の通り落語を丸々やるという点でストーリーという点ではトントンとは進まない。さらに男2女1という関係性ではまぁ素直に進んだらその方がつまらない。七代目八雲の妾として連れてこられたみよ吉は妖美な女性で、八代目八雲に関しては大分手玉に取られているというか、リードされている。ただ当の彼女にも弱い部分があり、男性に執着をして生きていくしか方法がない、そういう生き方をしてきた人だ。他の男と夜を過ごしながらも本命の話ばっかりするあたり、強かにもなりきれない女なんだなぁとか。いじらしいというか、恋バナ聞く側の友達絶対めんどくさいだろうなと思いながら見てた。いやだわこんな泥沼。長靴はいていても近寄りたくないタイプ。

また、落語界で「受け継いでいく」、つまり襲名。この文章では分かりやすいようにずっと八代目八雲、助六と表記しているけど、彼らも与太郎と同じように菊比古、初太郎と入門時点での別の名があった。そこから『八代目有楽亭八雲』が誰に襲名されるか、また『助六』という名前、さらにそこから下の世代に受け継いでいく中でのストーリーもまた面白い。この辺りの落語界のシステムは一切説明がなく置いてけぼりにされる人はされてしまうかもしれないけど。前座、二つ目、真打とか。日常生活で使う言葉も由来が実は落語を初めとした伝統芸能にあったりするので、是非Wikiでもゆっくり見て欲しい。見ていた人はもう一度、見たことの無い人はぜひぜひ1度見ていただきたい作品である。

そんなこんなでアニメを見終えた勢いのままに書き始めたこの感想文、ひとつは単純に鑑賞記録として、もうひとつは最近日本語が下手になったなと思って筆…ならぬスマホを取ることにしました。本当に最近日本語を話すのに加えて読みも下手になり、いろんな熟語が中国語読みと日本語読みが入り交じるようになったように思います。いつだか忘れましたけど、彼是(あれこれ)という漢字を咄嗟に「He 是(shì、英語のis)」と読んで以来、公文にいき直そうかと真剣に悩んでいる日々です。台湾の家の近くにはスクールITしかないんですけど。

反応が良ければ他のおすすめしたい作品とか、日常生活とかを書き記して行きたいなぁとも思います。暇があれば駄文にお付き合い下さい。